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soyokaze


この感動をどう表現すれば良いのだろう。今日、京田辺シュタイナー学校の18歳までの展覧会を京都まで見に行ってきた。
※写真はシュタイナー教育の「そよかぜ幼稚園」のもの。こちらもすごかった。。。

1年生から12年生(高校3年生)までの記録であった。最初はにじみ絵からはじまり、徐々に字を覚える。
覚えるといっても、字をマス目に何十回と書く覚え方ではまったくない。
字の成り立ちを絵で表現してから「あ」を描いている。「あ」って何だろう、っという身体から考えてみようという姿勢かな。
算数も社会も理科もすごい。そのノートの素晴らしさはなんと表現してよいかわからない。

そう、シュタイナーには教科書は無い。先生が黒板絵を用いながらその事象についてじっくりと考えさせる?のか。
私もここは推測なのでよくはまだわからない。
でも、このノートを見ていると、最近の「なんでマンガ教科書がダメなのか」といった議論がとっても陳腐に見える。
マンガ教科書を用いて、ノートに何回も練習を繰り返す。怖いのは、みな同じノート内容ということ。
教える知識は決まっており、それをいかに記憶するかという学習。
誰かが大学入試を「壮大なウルトラクイズ大会」と呼んでいたっけ。
自分もそんな入試を経てきた。壮大なウルトラクイズ大会を切り抜けてきた。
「いっひりーべ・・・・」という化学元素表を必死に覚えた。
でも、ここのノートに化学元素表をきれいに自分で描いていた。そして、その解説があった。
自分は、化学元素表は何度も覚えたが、表をそのまま描いたことはなかった。
心臓や胆嚢を描いたこともない。
自分で「描く」ということに重きがおかれているようだ。
頭のなかに文字が浮かぶのではなく、その絵がうかぶのではないだろうか。
どう表現したら良いのかわからない。
私が今まで習ってきた以上のことがそこにはあった。
数式のxについて理論が説明されていた。なぜxが用いるのかと。
そんなことは教えられたことがないし、どんな参考書・教科書にも書いていなかったぞ。
うーん。何だか悔しい。
とくに絵を描くのが好きだったので、こんなノートを自分も書きためたかった。
ひとつだけ関係しそうなことを思い出した。
受験で、世界史の年表を自分で何ページもかけて色鉛筆を使いながらきれいに描いたことがある。
それこそ楽しみながら世界中の時間を断面で切り、この時代にモンゴルでは何が、ヨーロッパでは何をということを数日かけて創りあげた。それはそれはその後のテスト!に役に立った。頭の中にそのノートがいつもあったから。ノートを見たら、視点を横にずらすことができた。

そして、圧巻は卒業制作プロジェクト。
あまりにすごすぎて言葉を無くしてしまった。
平安時代の時間感覚をテーマとしたもの。一般書籍なみの内容。
大学で卒業論文を指導している立場からは、どうにも悲しくなる。
1年以上をかけて自分のテーマに取り組み、中間発表などを経て最終発表に至っている。
そのノートや作品をみると、大学の卒論よりも上である。
既往の研究等のサーベイは確かに甘い。それは情報収集のスキルだから。
でも、自分と向き合っている姿勢はものすごい。圧倒的である。
もちろん、高校生と大学生とでは比べるべきではないだろう。
求めるアウトプットも違う。
今までもけっこう厳しく指導はしてきた自負はある。
ただ、論文作成のテクニックに傾いていたような気もする。
そもそも、何でそのテーマをするのか。
自分と向き合うこと。卒論もそうではないのかなとも思う。
「壁」という言葉が使われていた。壁にぶち当たってと。
ゼミ生は壁に当たっているだろうか。逃げていないだろうか。
逃げ道を与えてはいないだろうか。

まだ整理はつかない。
卒論と卒業制作は違うものではある。
でも、ゼミ生はシュタイナー卒業生ではまったくない。
自分のテーマとぶつかってきた教育を受けている人はほとんどいないだろう。
ということは、卒論がその場になる可能性もある。
自分を見直すこと。そんな卒論にできないだろうか。
もしかしたら、研究論文としての「かたち」にこだわりすぎていなかったかな。
シュタイナーではあれこれ言わないそうだ。
先生はただ「聞いている」だけらしい。
自分を追い込むことができる癖がついているということか。
あぁ!、でもわからない。
今までもライフワークを卒論テーマに持ってきたものもいるが、それはかなり難航する。
卒論としてある意味「妥協」(<こんな単語はシュタイナーには無いのか)してテーマを限定して設定することになる。
切り出させて、そこを徹底的に検証するプロセス。
そういえば、人間文化学部の武邑先生が、統計分析をしはじめた学生に「君の心はくもってきた!」と言ったとか。
うーむ。そういうことなのかもしれない。

先日、「良いよね。やっていることの結果が、卒業生を送り出すということで、彼らで見えるから。」と言われたことがある。
確かに、卒業生はいろいろなところで活躍している。
ただ、だからこそ、現在までの指導で良かったのかな。

魂のこもった卒論にしたいもの。
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