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12月にある環境社会学会のセミナーでパネラーとして出ることに。

んで、その資料を簡単につくってみました。テーマは「実践者/専門家―市民調査の可能性と課題―」というものです。最近、学会活動等から離れているので、こんな文章で良かったかなあなどとも思いますが、年をとるほどにずうずうしくなるのか、こんなことしかできないわい、っと開き直ります。ワークショップだらけの状況も批判してみたいと思います。

「市民調査から市民計画へ」

■参加型でお願いします

 「まちづくり」や「環境基本計画」、「身近な環境づくり」などといったものにかかわっていると、「市民参加型でお願いします」「今度は従来の会議型はやめてワークショップ型でワイワイやりたいのです」と言われることが多い。実際、市民を交えて、ワークショップ手法で進める計画づくりに携わることも多い。ただ、何となくその動きの“危うさ”も感じている。
■参加型計画の危うさ

 「参加」といっても、関係者全員が参加できるわけではない。さすがに動員という形態は近年ではなくなったものの、参加者層は町内会などの組織代表者や関心のあるNPO関係者などの層に限定されてしまうことが多い。そのような場でワイワイと決められていく計画には、そもそもそのような場が苦手で嫌いな人の声は反映されない。運悪くちょっと寄ってみた人は、その雰囲気に違和感を感じて二度とは来ない。それなりのグループワークで構築されるアウトプットには、それなりに満足することが多い。言わば、ワークショップ好きな層の言説のみで決められてしまう。しかも、「ワークショップ=正当な参加>従来の手法」という暗黙の了解があるため、そこで決まったことには異議を唱えにくい。
 また、慣れている人たちがかかわる計画は、「上手い」ものとなりがちである。私自身も含めて、ワークショップという時空では、最後にきれいにまとめることを目指してしまう。コンサルタントがかかわるとさらにそれは助長される。でも、上手くてきれいである必要は本当にあるのだろうか。
 さらに言えば、参加者が発した意見群がどこまで発言者自身に反映されてくるのか(フィードバック)が明確でないことが多い。つまり、適当な意見をその場で出すことも可能だし、まとめた計画が動き出すと自分の意見がどう反映されたのかが全くわからないために、その計画自体に関心が薄れてしまうこともある(つながらない)。

■かかわる計画へ

 従来の都市計画や総合計画といった計画のプロセスには限界が来ていると言われつつあるらしい。ちょっと計画書を見てみるとすぐにわかる。みな同じような計画が書いてある。「水と緑にやさしいまちづくり」「地球と自然にやさしいまちづくり」といったフレーズは身近にあふれているのではないだろうか。では、どのような計画プロセスが必要なのだろうか。
 大切なことは、関係者としての主体が何らかのかたちで「かかわる」ことができる計画ではないだろうか。計画への「コミットメント」が必要となっている。防災・防犯計画づくりが比較的かかわりあってできていくのは、避難経路や避難所の問題は身近でモチベーションが高いからである。
 私の経験では、計画づくりでは、必ずまとめと称して「抽象化」と「そぎ落とし」がおこなわれてきた。最後には、“かっこいい”計画としてまとめられる。また、きれいな計画をつくりあげた充実感を持ってしまいがちである。“かっこよく”するために、いろいろと捨て去ったものがあるはず。計画を生きたものにするには、自分自身とのかかわりをつなぐことが求められる。近江八幡市でまとめられた『沖島21計画夢プラン』(2003)は、島民ひとりひとりの意見を決してそぎ落とさずにKJ法を駆使してまとめたものである。その表現は決して格好良くはない。むしろ、ぐちゃぐちゃとして“かっこ悪い”計画である。しかし、その島民ひとりひとりが発した言葉のひとつひとつがとても重いものとして尊重されており、決して捨て去られてはいない。
 良い計画や悪い計画といった評価はあまり意味がない。むしろ、かかわりやすいシナリオ、かかわりにくいシナリオといった評価があっても良いのではないだろうか。ネットコモンズ的に言えば、あえて杜撰(ずさん)にversionをつくって、新たに追加更新しながら様々なかかわりを持ちながらつくっていく(version up)計画もありうる。結果的には、パッチワークのような小さな領域から積み上げられる計画という様相になるのではないか。身近な問題でないとかかわりにくい。

■調査データの活かし方

 かかわることを重視していくと、調査データについても「かかわりやすい」表現の仕方と仕組みが求められる。地域で使われる調査結果のあり方とはどのようなものだろう。数100ページA4版の報告書は誰も読まない。概要版パンフレットを作ってもどの程度伝わるかは不明だ。マップ、紙芝居、曼荼羅、キャッチフレーズ、絵、双六、歌、絵屏風、つうしんぼなどがはひとつの表現の方法なのかもしれない。実際、計画の表現のあり方については、あまり語られていないのではないか。

求められる専門家像

 かかわる計画づくりに求められる人材は、「(市民)コネクター」「ファシリテーター」「ストーリーテラー」である。コネクターとは、つないでいく人材である。インタープリテーションだけでなくて、市民と計画とをつなぐ媒介の役目が求められる。ファシリテーターとは、個をスキルアップして場に出てきてもらう役目でもあり、声を出しにくい市民の声を集める役目でもある。ストーリーテラーは、そのものがたりを掘り起こして提示してくれる役目。計画づくりの参考やベースになる場合もある。
 重要なことは、地域の計画づくり<物語?>は、どんどんと変わっていくものであり、そのようなものがたりを共有できるような場<共有知>が必要なことである。物語のすりあわせができないとしても、ストックして交われば、何かの創発(emergence)が起きる可能性もある。
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